私が生きてこなかった人生

ためらわず踏み出してゆくわ

あなたと共にあることーー『ラビット・ホール』『片づけたい女たち』

PARCO『ラビット・ホール』を観ました。

 

f:id:fumi7july:20230417100140j:image

ラビット・ホール | PARCO STAGE -パルコステージ-

 

4歳の息子を不慮の事故で亡くした夫婦と家族の話。事故から8ヶ月が経ち、息子の描いた絵を見えるところに飾っておくか、彼が可愛がっていた犬を親族に預けず手元に戻したいか、3人で暮らしてきた家を売りに出すか。同じ悲しみを抱えているはずなのに、立ち直るためのプロセスが共有できずにギクシャクして、ぶつかり合って、それでも前に進もうとする様が描かれています。

「私たちは別々の場所にいるってだけ。支え合えないのは残念だけど、でもしょうがない」という台詞のパンチ力がものすごかったのだけれど、更生するために頼る手段は夫と妻でまったく違って、失った悲しみの共有以上に同じ方法、同じペースで立ち直るって本当に難しいなと思った。人によって何がセンシティブなのかも違うし、自分がいつ何に傷つくのかも、相手は何に心を抉られてしまうのかもわからないから、常に探り探り生活しているみたいな。

そんな状況が続いてわずかな希望に向かうラストまでの間に、彼らが手を取り合える再生のきっかけは何だったのか、劇中では具体的に描かれていません。わかりあえなくても、本当の意味で理解し合えなくても、隣にいることがちゃんと起き上がるときの支えになる。共にあることこそが希望なのだと感じられたのだけれど、どうなんだろうなぁ。そうだとしたら、人と人とが関わりながら生きていく上でこれ以上ない明るい光だと思うのです。

 

そんなことを考えていたら、永井愛さんの『片づけたい女たち』という戯曲を思い出しました。主題は「女性の連帯」であるお話だけど、『ラビット・ホール』と同じく「そばにいること、共にあることの意味」が描かれていると思います。

2021年にちょろっとメモして下書きに入れっぱなしだった記事があるので、この機会にほぼそのまま引用してしまおうと。めちゃくちゃに笑ったり、ときにハッとしたりする、とても良い作品です。

そういえば、『ラビット・ホール』もシリアスな中にくすくす笑うような場面がたくさんあって、いついかなるときもちょっとおかしくなって笑うみたいなことって手放せないのかもしれない。それができるのも誰かと共にいて、言葉を交わしているからこそですよね。

 

* * *

「戦いなさい、戦える自分になりなさい!」

2021年2月22日初稿

 

永井愛さんの戯曲『片づけたい女たち』が大好きです。

片づけたい女たち 東京芸術劇場

 

高校時代の旧友である50代の女性3人が集まって、そのうち1人のほぼゴミ屋敷をひたすらお喋りしながら片付ける話なんですが、女性の連帯というものをこんなに面白く、柔らかく、おおらかに見せてくれるなんて! は〜〜〜面白すぎ〜〜〜ってなるぐらい好き。

 

きっと、私が『るきさん』をバイブルとして育ち、今も『阿佐ヶ谷姉妹ののほほん暮らし』が好きというのも馬が合う要素としてあるんだろうな。とりあえず、世間の女性に1人でも多く観て欲しいよ。

 

劇中、汚部屋の住人であるキャリア女性・ツンコが、上司にパワハラをされている年下の元彼・シローに対し、こんな言葉をかけます。

 

……まあじゃないだろ、暴力ふるわれたんなら、訴え出なきゃ、治療代も請求しなきゃ! ……いや、私はお金のことを言ってんじゃないの、人権のことを言ってんの、人間の持つべき最低限の誇りについていってんの! そんなじゃあんた、この先の人生戦えないよ。戦いなさい、戦える人間になりなさい!

 

この通りツンコは強い女性で、ついこの間も昇進したばかり。だけど、高校時代に先生にセクハラをされていた同級生を助けられなかったことや、会社の上司であった女性がパワハラを訴えた際に見捨ててしまったこと、それらを「傍観者の罪」としてものすごく悔いている。そのせいで生活が破綻し、お正月休みを有給でなんとか延長して会社にも行けていないのですよね。

 

そこに登場するのが残りの2人であるバツミとおチョビなのですが、彼女たちと話しているうちに、ついさっきシローにかけたはずの言葉が本当に必要なのは自分自身であったとツンコは気づきます。戦えるようになるべきなのは自分なのだと。

 

私、シローに謝らなくっちゃ。戦わずに現状を受け入れて、ヘコヘコ頭下げてたのは自分だったのに。

 

うー! 言葉が重い! これは女性に限った話ではないけれど、社会で生活する上で戦わなければいけない場面って現状、特に女性はたくさんあって、正直面倒な部分も多いじゃないですか。見て見ぬふりをしようと思えばできるし、名誉男性になることだってできるけれど、それでもやっぱりなんとか自分を励まして、周りと連帯して、戦える自分になりたいよねというお話でした。

 

面白いのは、同じ高校時代を共にしたはずの3人なのに、同級生のセクハラの件を未だにちゃんと覚えていて、後悔して、傷ついているのはツンコだけということ。だからバツミとおチョビと本当のところで理解し合って、共感し合ってというのが成り立っているのかと言われると決してそうではないと思うのですが、それでも一緒にいて喋るだけで救われるものってあるよね。