私が生きてこなかった人生

ためらわず踏み出してゆくわ

さあ、自分の目で確かめろーー星組『Le Rouge et le Noir ~赤と黒~』

星組『Le Rouge et le Noir赤と黒~』千秋楽おめでとうございました!!

 

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星組公演 『Le Rouge et le Noir ~赤と黒~』 | 宝塚歌劇公式ホームページ

 

トップスターの礼真琴さん率いる“星組生選抜メンバー”と専科のお二人、全22名で送る、日本初演のフレンチロックミュージカル。

トップコンビが主演せず、しかも通常2番手や3番手が主演するサイズの劇場という、宝塚としては非常に珍しい形式の作品で、冬には梅田芸術劇場の主催公演が上演されることも決まっています。

 

これまでの宝塚で上演されてきた柴田侑宏脚本版では、ドロっとした愛憎劇とも描かれてきたこの作品。

ロックミュージカルとなった『赤と黒』で画期的なのは、本編のストーリーがプロローグとエピローグに挟まれた入れ子構造になっており、「心の声に従う」ことの意義を訴える物語として再構築しているところ。演劇の価値を信じ、劇場という仕掛けの効果を見事に活かし切っているところが私は大好きです。

 

“演劇的”という言葉が何よりも似合った今作。『赤と黒』の世界が存在する意義を確かめるために、物語を始めましょう。

 

本物の価値とは何かーーエピローグとプロローグ

赤と黒』の舞台は、王政復興時代の19世紀フランス。主人公のジュリアンは、ヴェリエールという小さな田舎町で暮らす青年だ。当時は危険思想であったナポレオン崇拝者の野心家で、自分のことを大工の家に生まれた庶民と嘲笑う貴族を激しく憎んでいる。

ラテン語の読み書きや聖書の暗誦ができたために彼は町長の家で家庭教師として雇われるのだが、そこで美しい町長夫人・ルイーズの純真さの虜に。政略結婚で恋も知らなかった彼女と愛を育むものの、貴族のヴァルノ夫妻、女中・エリザの手によって愛人関係が明らかになってしまう。彼の将来を案じたルイーズが裏切りを引き受ける形で家を追い出されたジュリアンは、ルイーズの本心を見誤り、裏切りへの怒りを抱えたままパリへ出る。

パリでは名門ラモール家で秘書として働く中、その娘・マチルドとの名誉を懸けた闘いの末に彼女の愛を勝ち得、ついに騎士となるきっかけをも手にする。
しかしルイーズが過去を告白した手紙が元となり、マチルドとの結婚に釘を刺されたジュリアンは復讐としてルイーズを殺そうと銃で撃ち、死刑に。獄中で自らの本心であるルイーズへの本物の愛に気づいた彼は、ついに真の生きる意味を悟り、誇りを胸に処刑される。

 

原作からエピソードは刈り込まれシンプルになっているものの、ほぼ同様の要点を準えたストーリー。柴田版ともここまではほぼ変わらない。この本編部分を挟むのが、オリジナル要素のプロローグとエピローグだ。

1幕、舞台はストーリーテラージェロニモの出現から始まる。原作でもジュリアンの行く先々に出てくるオペラ歌手で、本編ではジュリアンの唯一の友人でもある人物だ。彼は観客を19世紀フランスの劇場で出迎え、長い年月の中で時代が大きく移り変わったことを嘆く。

しかし、その流れの中でも変わらないものがあるというのだ。ずばり「愛との闘い」である。まさしくこの「愛との闘い」を体現した物語として幕が開き、始まるのが『赤と黒』。闘いの末に死んでいったジュリアンが愚か者であるのか、それとも英雄であるのか、自分の目で確かめろというのだ。

 

「さあ、物語を始めよう。そう『赤と黒』の世界を」

「愚か者と笑うか、それとも彼は英雄か 自分の目で確かめろ 勇気をこの手に」

 

2幕、舞台の幕が閉じられるのもジェロニモの手によってだ。

先ほどの通り、『赤と黒』の物語で闘いの末にルイーズへの真実の愛を手にしたジュリアンは、処刑されてその生涯を終える。

だが、あくまで本番はここから。再びストーリーテラーとして登場したジェロニモは、まだジュリアンの遂げた「素晴らしき愛との闘い」は終わっていないと言うのだ。ルイーズやマチルドをはじめとするキャラクターたちはジュリアンの生き様を再び語り出し、観客に訴えかける。

 

「自分の目で確かめろ 物語としてだけでなく 己の心のままに

「いつの日か愛をすべてを」

 

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ジュリアンの人生は理解しにくい。

当時の人々から見れば彼は自分の身分すら厭わない燃え尽きるような野心家で、反対に現代人から見れば人を傷つけ傷つき葛藤の末に命を落とす姿は滑稽にも取られかねない。

けれど、どう捉えたって自分の目で観て感じたことが正解だ。愚かなのか、高潔なのか。彼の生きた意味は、死んだ意味は何なのか。劇場ではすべてが観客に委ねられ、私たちは自分の心の声に従い、考え、判断することを求められる。ジュリアンが本心のままに従った結果、富と名誉を得るための闘いを手放し、本物の愛、つまり自分にとっての本当の幸福を追求するのための闘いに気づいたように。

赤と黒』の物語を通して語られる「自分の目で確かめること、自分の心に従うこと」の価値。ひいては「劇場でお芝居を観ること」の価値を絶対的に信じている人の作った脚本だと、ひしひしと感じた。劇場に集い、物語を自分の目で観て、己の心の声を聴き、考えることが幸福を追求する最初の一歩になるのだから。

 

虚栄の時代に、激しい心の声を謳うのがロック

赤と黒』を書いたスタンダールは生前まったく評価されず、死後にようやく熱狂的なまでの読者を得ることとなったそうだ。なぜなら彼は当時のブルジョワ、そして名誉がすべてであるフランス貴族社会の価値観を否定し、庶民にこそ力があると謳ったからだ。

 

“人が世俗の成功という一本の上昇街道をすすむとき、彼が手に入れる社会的地位・財産・勲章……は目に見えるものである。ブルジョアは他人にそれを見せつけて虚栄心を満足させ、幸福におぼえる。ところが心の幸福・真の幸福は他人の目にみえないーーだから虚栄の国フランスには情熱の恋が少ない”

岡田直次『スタンダールの復活』

 

自分の思うことのすべてを言葉の下に隠し、他者と話していても同じ話題を共有しているとは思えないほど心の中は行き違う回りくどさ。スタンダールスタンダールというペンネーム以外に300もの偽名使ってたエピソードからも、自らを偽り、飾り立てることが求められた時代なのだと思う。

だからこそ主題である「自分の心のままに生きること、愛との闘い」の美しさが際立つのだが、本心を見せない時代を描くのに、衝動的で燃えたぎるようなジュリアンの心の声をロックに乗せて謳うのも面白い。会話でもなく、モノローグでもない形でキャラクターの内面を打ち出せる、ミュージカルナンバーの特性を活かしている。これは双極性障害を描いたミュージカル、『next to normal』にも通じるなと感じていて、外側と内側が乖離している様を鮮烈に描くには、ロックという音楽ジャンルがぴったりとマッチするのだろう。

柴田版のクラシカルな『赤と黒』を知っているからこそ、なおさらロックで謳われるジュリアンの激しい生き様が新しく私たちの目の前で生命の輝きを放つのだと衝撃的であった。

 

動きでも視覚でも演劇的「赤」と「黒」

音楽に続いて、演出や衣装も演劇らしさが際立つ内容だ。

今作のセットはおそらくほぼすべてオンブル(フランス語で「影」)というコロス的役割の下級生チームが、自ら手で動かしている。小道具の持ち運びやキャラクター陣の着替えなどもあえてオンブルが見えるところで行うし、彼らはオンブルとしてのグレーの衣装の上に何かを纏うことで、囚人となり、パーティに集う貴族となり、使用人となって物語に入り込む。このオンブルたちの動きは、劇中劇のように入れ子構造になった『赤と黒』の物語性をより強く打ち出すとともに、人の手によって動き、魔法がかけられる舞台芸術ならではのお約束とも言える演出だろう。最近ではメトロポリタン・オペラ『めぐりあう時間たち』、宝塚の作品だと『カルトワイン』の偽造ワイン鋳造の場面が記憶に新しい。

赤と黒』の世界に潜むのは、ストーリーテラージェロニモも同様。影として存在するときは黒を基調とした衣装でジュリアンを観察し、観客に語りかけ、ジェロニモという劇中の人物として存在するときは赤い衣装に身を包み、ジュリアンたちと言葉を交わす。

「赤」と「黒」の二項対立を一番に象徴しているのは、宝塚版のオリジナルキャラクター「ルージュ(赤)」と「ノワール(黒)」。彼らもジェロニモがこの世界のために生んだ存在のように、ジュリアンの周りを縦横無尽に動き回るキャラクターだ。

もちろんジュリアンら、“物語の中で生きる人々”にも赤と黒2色のメタファーは多用されている。ルイーズがジュリアンとの逢瀬でまとうナイトガウンや髪飾りのコサージュ、ジュリアンを裏切った直後に彼女が縋った花瓶や、1幕ラストで降り注ぐ花びらなどで印象深い赤い薔薇は「真実の愛」、マチルドのドレスに描かれた黒い薔薇は「名誉のための愛」の象徴だろう。

2幕のジュリアンは、ホワイトベージュと黒が基調の衣装を着ている。監獄で自らの心の奥底に流れるルイーズへの愛に気づいた彼がナポレオンの描かれたロケットを手放し、代わりにルイーズからもらった薔薇のコサージュを身につけるのだが、この瞬間、2幕で初めてジュリアンの心に火が灯り、ついに彼が生きる意味を見つけたことが視覚的にも「赤」の差し色で理解させられるのだ。あの映える「赤」を目にしたときの鳥肌が立つような高揚感も、舞台だからこそ得られたものだ。

 

ミュージカルは、歌声こそ戦闘力だ

さて、ここまで作品とその構成について話してきたが、『赤と黒』が持つ演劇ならでは、ミュージカルならではの面白さが成立したのは間違いなく役者陣の熱い厚いパフォーマンスがあってこそ。

最大の功労者は、ジュリアンを演じた礼真琴だろう。歌声のパワーがそのままキャラクターの戦闘力に反映されるミュージカルにおいて、礼の歌声は誰よりも燃えたぎり、闇を抱え、光を求めて突き進む強さがある。

1幕序盤、レナール家に初めて家庭教師として迎えられたジュリアンが、前奏なしのままいきなりエンジン全開の爆音で歌い始めることによって、身分差を超えてブルジョワに一目置かれる存在であることが表現されるナンバーは天下一品!!!!! 絶対にミュージカルでしかできない演出であり、礼真琴だから成立させれられた技巧である。「ジュリアンは見事にラテン語で聖書を暗誦してみせるのでレナールさんたちはとんでもない掘り出し物の家庭教師だと大層驚き、家にも子どもたちにもすっかり馴染んでしまいました」という流れが、突如暗闇に轟く雷鳴のような歌声の爆発力だけで説明がついてしまう凄さ。礼真琴という大器の持つとんでもないポテンシャルが、直接的にジュリアンのキャラクター、そして生き様に結びつく本当に素晴らしい当たり役だったと思う。

ジェロニモとして物語と観客の間を巧みに行き来し入り込む異質さを表現できる暁千星。劇中の人物としての居方と、ストーリーテラーとしての居方のグラデーションがこれまた素晴らしかった。陽気ででもどこか腹の底が見えない、真っ暗にぽっかりと空いた穴みたいな、例えるならカオナシのような存在感。スケールの大きい舞台姿が、目の前にある『赤と黒』の世界を司る絶対的支配者であった。

ジュリアンがその瞳の奥の光に魅了されるルイーズは、有沙瞳。ほぼ素化粧に地毛、宝塚のヒロインとしては異例なまでに質素な佇まいであるが、本人の持つ本質的な美しさをまざまざと見せつけることで、ルイーズという存在そのものが気高く美しい魂を讃えていると説得させられる。ジュリアンが心の底から惹かれ憎み、貴族だろうと人妻だろうと「この人だけは……」と思わせる力が圧倒的だった。彼女の立場では表には出せない心の機微を映す目や表情での表現も、音楽や移ろう四季のようにため息が溢れるほど美しい。

愛を求めながらも、名誉のための闘いからは逃れられない令嬢マチルドには詩ちづる。ジュリアンの写鏡のような面白い役柄だが、澄んだ美しい歌声で、マチルドのもつ聡明さと傲慢さと切なさがみずみずしく表現されていた。彼女はジュリアンを見下さず、自分の身分も鼻にかけない珍しい存在だが、「マチルド・ド・ラモール」としてのプライドだけは絶対に捨てられないのがなんともいじらしい。

金と名誉のためにルイーズやマチルダをも騙して生き残る、ブルジョワのヴァルノ夫妻を高らかに歌い上げたひろ香祐、小桜ほのか。
ジュリアンへの淡い恋心を利用される、メイドのエリザに瑠璃花夏。
コミカルで柔らかなお芝居から貴婦人の優雅さを見せた、フェルバック元帥夫人の白妙なつ。
根底には愛を抱えながらも、貴族としての体裁を守る堪え役・ラモール侯爵、レナール町長には専科の英真なおき、紫門ゆりや。
宝塚版のオリジナルキャラクターとして、物語に華やかな彩りと“らしさ”を添えたルージュの希沙薫、ノワールの碧海さりお。

朱紫令真、夕陽真輝をはじめとする下級生チーム10人によるオンブルたち。

力を持った彼らが一堂に介して「心の声を」と歌い上げるエピローグのコーラスは、その豊かで重厚な和声からも、『赤と黒』の物語が今ここで語り直された意味が自ずと解るだろう。

星組生選抜メンバー”と謳ったからには、スター性、歌唱力、そういったパフォーマンスだけを見せつけることでだってきっと観客は満足するだろうけれど、演劇的な面白さ、演劇を上演することの効果、演劇を観ること意義に及ぶまでを追求した作品を打ち出してきた谷貴也先生。ある種、宝塚的でない何かを持ったやっぱり面白い人だと思う。

 

演劇は物語を体験させる力が強い。

19世紀フランスを体験し、ジュリアンの人生に迫った観客に、「自分の心に従うこと」を訴える骨太な力強さ、説得力。

これはきっと小説にも難しいことだ。表現が難しいことを「体験」として語れるのが演劇で、音楽の力を借りてさらに語る言葉を増やせるのがミュージカル。心の内の激しさ、外と内の乖離を表現できるのがロックで、それらの融合を見事にパフォーマンスで支えたのが礼真琴を筆頭とする星組・専科の22名だった。

 

自分の心の声が分からなくなったら、また何度だって劇場に来ればいいのだ。ジェロニモさんが、ジュリアンの生きた19世紀フランスまで確かに私たちを連れて行ってくれる。

「さあ、物語を始めよう。そう『赤と黒』の世界を」