私が生きてこなかった人生

ためらわず踏み出してゆくわ

卒論だけはデジタルで本当に良かった

エッセイが好きである。

最近のお気に入りは、“弘中ちゃん”こと、テレビ朝日アナウンサーの弘中綾香さんの連載。まるでアンパンマンが自分を一口分ちぎって分けてくれるかのように、弘中ちゃん自身の言葉で日常や思いをちょこっと見せてくれる。書き手が自分を切り売りした言葉はフィクションとは違った新鮮な面白さがあって、エッセイを通して誰かの日常にお邪魔させてもらうことが楽しくて仕方がない。

 

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https://hanako.tokyo/column/88632/

 

日々そういったエッセイを見つけてはブックマークし続けているのだけれど、ある日、そのうちの一つを読み返そうとしたら接続できなかった。現れたのは悪夢の404 Not Foundである。 またある時、Twitterで元気をもらい続けていた人の呟きを読み返そうとしたら、いつのまにか総ツイート数が0になっていた。アカウントは消えていない。けれど明らかにツイ消しだった。なんと勿体無い……と思いつつケータイを置き、去年の今頃に使っていたノートを探す。あった。染みた言葉をひたすら純喫茶でメモする過去の私、ありがとう。バックアップは何においても忘れてはならない。

夏にあった参院選に向けて政治家の発言をまとめた記事を書いていた方も、ソース元のネットニュースが消える可能性を考慮して、わざわざ手間暇を掛けて新聞や書籍から引用したと仰っていたのを思い出す。

 

ページがなくなればアクセス出来ない。ツイートが消えれば遡れない。ミュージャンが逮捕されれば音楽はダウンロードできない。電子書籍が改変されれば元のバージョンは読めない。インターネットが大好きだし、すっかりデータとして存在するものばかりに頼った生活を送っているけれど、やっぱりいつどんな時も手元に実体があるアナログは強い。

電子書籍も便利で、保存に場所は取らないし、手軽であることに越したことはなくとも、本そのものをポンと友人に貸せるメリットだって計り知れない。やたらとそこかしこに布教しがちなオタクなら尚更そうだと思う。美容院で雑誌を読む時は、タブレット上のdマガジンのほうがずっと好きなのに。両方どっちもなんて欲張りすぎなのかもしれないけれど、大好きな弘中ちゃんのエッセイは本棚に置いておきたい一冊になってくれると信じたいなあ。

 

P.S.

弘中ちゃんと同じぐらい好きなひらりささんのnote。月500円でこんなに面白い文章(しかも量がすごい)を読ませてもらえるのはなんともありがたいことです。こういう連載もインターネットだからこそとは思いつつ、同じく本になったら大事に手元に置いておきたい。 

note.com