私が生きてこなかった人生

ためらわず踏み出してゆくわ

正塚芝居の研ぎ澄まされた構造美ーー月組『ブエノスアイレスの風』

月組ブエノスアイレスの風』大千秋楽おめでとうございます〜!!

 

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以前の記事でも書いたご贔屓・彩海せらくん(あみちゃん)が月組に組替えし、最初の公演。「数ヶ月のうちに見知らぬ人になってたらどうしよう」という未知の心配で戦々恐々としながら、月組デビュー初日から観に行きました。

 

上り坂、下り坂、まさかーー彩海せらさんの巣立ちに際して - 私が生きてこなかった人生

 

この作品は初演が1998年。当時月組紫吹淳さんが主演で、私の初恋のご贔屓・北翔海莉さんは雪組に組回り中。次の公演で配属になるタイミングでギリギリ月組生ではなかったこともあり、映像も含め今回が初めての観劇でした。

 

演出の正塚先生といえば、宝塚のなかでは異色とも思えるようなリアリズムが特徴。王子様でもお姫様なんでもない登場人物たちが、地に足を着けて一歩一歩と生きるような作品を得意とされている印象です。あと、照明が暗いので何も知らずに映像を観てもすぐにわかる(笑)今回の『ブエノスアイレスの風』はそんな先生の比較的初期の作品であるわけですが、"正塚芝居"の真骨頂といえる最高に良質な戯曲であったと思います。

 

とりわけ感激したのは、タイトルにも選んだ「研ぎ澄まされた構造の美しさ」。登場人物たちの関係性や対比をはじめ、物語が展開する上で必要となる骨格に無駄がなく正確に組まれていて、その上で説明的な要素の一切を削っているので、物語そのものの本質的な美しさが静かに引き立ちます。セリフや演出も飾り気がなく、残されたものには些細な部分にまで意味があるような緻密さです。なるたけ華やかに盛って飾ることが美とされる宝塚において、最高級のお塩とお米とお水で作った塩むすびで挑むような作品。正塚先生の美的感覚の鋭さが窺えますし、男役・娘役としてもシンプルに魅せられる度量がないとこの作品は決して物にすることができないと思うのです。

 

軍事政権が倒れ、民主化した1900年代のブエノスアイレス。かつてゲリラのリーダーであったニコラスが、特赦によって8年ぶりに街に戻ってくるところから物語は始まります。過去を過去として葬ったものの、今の自分を生きることまでやめてしまったニコラス。ニコラスと共に戦闘に参加し、失った仲間たちとの日々を過去にしないためだけに生き続けているリカルド。そしてリカルドとともに孤児院を出て、ゲリラに加わった妹のリリアナ。3人は志を同じにして、同じ時間を過ごし、同じように悲痛な過去を抱えているのに、新しいブエノスアイレスにおいて本心から交わることはできません。離れていた8年の間に世界が丸ごと変わってしまっただけでなく、自分たちの住む世界がどう見えているのか、見え方が異なってしまったのです。

 

ニコラスはゲリラになる前、弁護士を目指す大学生でした。一方、リカルドとリリアナは孤児院の出身。血の繋がりは明言されていませんが、おそらく施設で兄弟のように身を寄せ合って生きてきたのでしょう。そんな3人が自由を求めて闘い、政権が倒れ、"普通の生活"に戻ることになれば、齟齬が生まれることは想像に容易いかもしれません。なぜなら知っている"普通"が違うからです。

"普通"に戻ってもリカルドとリリアナにとっての世界は頼れる存在が互いしかいない閉じたもので、仲間との闘争の日々を追い求めたまま理想を完遂することにしか生きる意味を見い出せません。大学で得た知識を糧に新しい政治や国に対しても妥協点を探ることができ、釈放後にはまず仕事を探すような"普通の生活"の仕方が分かっているニコラスとは、過去に対しての想いが同じでも、今に対しての向き合い方が全く異なってしまうのです。

唯一無二の大切な仲間として再会するのにも関わらず、理解し合うことはできないこの対比が本当に鮮やかでどうしようもなく哀しくて、目の当たりにさせられるたびに胸が締め付けられる想いでした。結局、銀行を襲い、ゲリラ時代のように武力で政府に訴えようと企てたリカルドは、逃走用の車を手配するために雇ったチンピラの車泥棒・マルセーロが誤って発砲したことで、ニコラスの腕の中帰らぬ人となります。

 

このマルセーロも満たされない家庭環境にありながら育った青年で、自分と同じような寂しさを抱えた若いダンサー・イサベラに執着し、リカルドを撃ったことでリリアナからは兄を奪い、ついには獄中でひとり孤独と向き合うのことになってしまう、不のしがらみから抜け出せない人物です。

 

弾圧で3万人の死者・行方不明者が出たと言われる真っ暗な軍事政権時代が終わり、完全とはいかなくとも人々は自由を手にして、小さな幸せを見つけるように暮らしていくはずでした。それでも今日は過去から続いていて、一から真っ新な状態でスタートを切ることはできません。最良の選択をしたはずなのに過去から尾を引いた不幸は連鎖し、やりきれない悔しさに耐えてやり過ごすしかないときだってあるのです。

 

「明日になれば変わるかもしれない

今がひどくても
寝て起きたら何もかもが楽になって
友達が遊びにくるかもしれない

何の心配もなくなるかもしれない

いつもそう思うようにしてたわ
何の理由もないのに」

 

私には『ブエノスアイレスの風』という作品が、「最も縋り付いているものをなくした結果、皮肉なことに囚われているものからも解放されて今日を生きられるようになるお話」に思えました。ニコラスは死戦で唯一生き残った仲間・リカルドを失い、リカルドは死んだ仲間の代わりとして生き続けている自分の命を失い、リリアナはただ一人の家族である兄を失い、マルセーロは寂しさを隠すために虚勢で作り上げた自分を失い、イサベラは人生を一度で変えられるオーディションのチャンスを失いました。

呆然と泣いて、変えられなかった自分の人生を嘆いて。でも互いに生きて寄り添うことで今日のために前を向くことができる。照明もほぼ当たらない湿っぽい獄中から始まったこの物語が、地下のタンゴ酒場や夜道で進展し、眩しい日差しの降り注ぐ地上で結末を迎えるのはなんて美しいのでしょうか。讃美歌のような「ヴィエント・デ・ブエノスアイレス」が響き、爽やかで明るい海風の吹き抜けるラストは思わずポロポロと涙が出てきます。

(リカルドは生き残ってしまったこと、生き続けていることそのものが彼の最大の苦しみでもあったと思います。あらすじとして紹介しきれませんでしたが、ビセンテは軍人としてのプライドを手放していて、エバはメインキャラクターで唯一、初めから過去を認めて今を自分で選択している人物ではありますが、最後に彼女の優しさをニコラスが断ったことには大きな意味があるように感じます。)

 

何もかもに無駄がなく計算されていて、人間の体を通すことによって本物になる。本当に素晴らしいお芝居でした。観るたびに挟まれたセリフや場面の意味に気づいて紐解いて「なんて良い作品だ〜〜!」と噛み締めるのが嬉しくなるような体験だった。大きく構えられた大衆性も好きだけど、ある種、小劇場的というか、光の当たり辛い「どこかに暮らす誰かの話」にフォーカスできる宝塚作品もあるんだ……! それでも宝塚としての形式美が出せるんだ……! と衝撃でもありました。絶対に大劇場では上演できないからこそ別箱公演の醍醐味があるように思いますし、お芝居の力量、男役・娘役としてありのままを魅せるスキルが試され、乗り越えた先にはひとっ飛びのレベルアップが確信できる作品でしょう。

初日から驚くほど板についていて、今まで持ち味だったはずの可愛さやバブみを完膚なきまでに封印し切った暁千星さんは凄いよ。ありちゃんじゃなくて、もう暁さん完全体なので、どこにも怖いもののないとんでもない男役になってしまったなあと思います。この作品を最後に星組に異動されるので、ますますどんなスターさんになっていくのか想像もつかなくて本当に楽しみ……!!!

 

そしてありちゃんニコラスとタンゴのパートナーとして組んでいた、イサベラの天紫珠李ちゃん! もともとエリザベートの黒天使から天紫ちゃんが好きで、踊るたびに目が離せなかったところにお芝居と娘役力まで突出した人だとこれまた思い知りました。さっき文中に引用したのはイサベラがニコラスとの会話で話すセリフです。一言ずつ幼かったころの自分に言い聞かせるように呟くイサベラの純真な心は、優しい雨のようにしんしんと沁みます。私はそのオーディション前日の酒場での場面と、オーディション終わり〜雨宿りの場面が劇中でもとりわけ大好きです。音楽もろくになく口数も限られた控えめな場面なのに、2人の間に満ちる温かくて優しい空気が本当に好きだった。ニコラスとイサベラは恋仲ではないけれど、相手の脆さを柔らかく受け入れ合える関係で、タンゴを踊るときは情感たっぷりに変貌する様が本当に良いなぁと思います。

 

さらにフィナーレの天紫ちゃんは、マルセーロを演じていた我がご贔屓・あみちゃんと組んでいるんです。これが尋常じゃなくカッコいいんですよ。天紫ちゃんと組んで、天紫ちゃんの美しさで引き立てられているからいつも以上にカッコいいんです!!!!! ひとりで踊るならいくら上手かろうと、上には上が見つかるかもしれません。でも娘役としての力量はいかに相手に寄り添えるかが重要で、その点、天紫ちゃんは素晴らしい美点を持っていると本当に本当に心の奥底から思う。ありちゃんと組んでいても、あみちゃんと組んでいても、天紫ちゃんのしなやかさのおかげで鋭角のダンディズムが引き立つ。大好きなスーツ物のときめきが何倍にもなって襲いかかってくるようでした。私は踊っているあみちゃんが何より好きなこともあり、あみちゃんの月組異動後には必ずや月娘きってのダンサーである天紫ちゃんと組んで欲しかったのです。最初の公演からガッツリ踊るタンゴが観られるなんて思ってもみなかったし、フィナーレで2人が登場した瞬間の感動は忘れないと思う。天紫ちゃんの美しい手があみちゃんに添えられるだけで、新しい宇宙が生まれそうでした……。

 

そんなご贔屓の組替え一発目のブエノスアイレスで、正塚芝居に、芝居の月組にどっぷり浸かることができて本当に楽しかったなあ。巡り合わせとは不思議なもので、月組は次の大劇場も一本物でどっぷりお芝居。SLRR、ブエノスアイレス、ギャツビーと続き、今年は下手をするとショーのあみちゃんを一度も観られないのかもしれないけれど、濃密なお芝居を前に頭をフル回転させて考えて、言葉にして、ウダウダするのも楽しいんですよね。正塚先生は76年入団。同期はまさかのハッチさん(夏実ようさん)という大ベテラン。「あーーー良い芝居を見たぞーーー!!」と思える作品を、これからもたくさん観せてほしいなと思います。そして『ブエノスアイレスの風』も、ずっとずっと再演し続けてほしい作品です。