私が生きてこなかった人生

ためらわず踏み出してゆくわ

一種のファンレターと誕生日の決意のようなもの

溜まっていたnoteを読んだ。ひらりささんが書く「アラサーのさらけださない日記」である。

私はおそらくここ3年から2年半ほど購読しており、ときには深夜に更新された分を朝6時にバイト先のトイレで読んだこともあったし、今回のように溜まっていた十数件の記事を一気に読み進めることもあった。けれどもうこの記事が溜まることはない。なぜなら先月をもってマガジンの定期更新が終了したからである。


最初にひらりささんを知ったのはTwitterだったかブログだったかnoteだったか、今となってはよく分からない。その中でも鮮烈な記憶として残っているのは、このブログ記事だ。

初めて読んだ本は『るきさん』という、根っからの"女の生活"あるいは"女と女"愛読家な私にはとても楽しいエッセイで、ぐんぐん読み進めたところでほぼフィクションだと知った。びっくりした。リアルだと思っていた世界が虚構だったという驚きよりも、虚構の中で地に足のついた生活感と人間と人間の温度を描ける人がいることに驚いた。今度はこの人自身の頭の中を覗きたいと思った。この人の書いたフィクションもノンフィクションも全部読みたいと思った。そうして彼女の「さらけださない日記」を購読し始めたのだ。


ご存知の方も多いと思うが、このひらりささん、私が到底及ぶはずもないスーパーウーマンである。会社員をしながら、劇団雌猫として本を出し、イベントを行い、個人でもライター・編集者として活躍されている。学歴だけを切り取ったってエリートだし、おまけにコンテンツの摂取スピードが異常なほど早い。「エンタメに片足を突っ込むにはこの人ぐらい摂取してアウトプットしてをしなければならない」と学生時代には感銘を受けた。「なりたい」といえば「なりたい」けど、「なれる気がしない」のがひらりささんなのだ。


けれどそんな彼女でもひとりの人間であると見せてくれるところが一番に好きだった。「さらけださない」と言っておきながら、自意識がめちゃくちゃにさらけだされている様を見ていると、「お前もさらけだすこと、もがくことを恐れるな」と言われている気分になる。人間誰しもカッコよく映る面の裏側にはどうしようもない内省があったり、葛藤があったりするものだ。白鳥だって水の中ではバタ足に勤しんでいるのと同じである。これまで出来上がったコンテンツや作り上げられた人を画面越しに見るだけでは分からなかったことを教えてくれた。そう考えると私にとって「舞台が好き」と「ひらりささんが好き」は似たようなものなのかもしれない。お前も書け。お前も考えろ。呑気に生きてしまいがちな私にそう説いてくれる存在がひらりささんだったし、彼女の生き方が垣間見られるnoteを読むことで「ととのう」何かが確実にあった。


とはいえ以前に「誰かのロールモデルにはなりたくない」といった発言をされていたので、こうして憧れめいた文章を書くこと自体嫌厭されるかもしれない。また人間をどこかコンテンツとして消費してしまうことには必ず暴力性が伴うので、罪悪感も抱いている。だからせめて、ひらりささんのような「誠実さ」を持ってこの文章が書けていることを願う。ここ数ヶ月ずっと自分として綴る文章が書けなくて、書きたいとすら思えなかった私に、こうして書き残しておきたい気持ちを与えてくれたひらりささんには感謝でいっぱいなのだ。いつも生活すること、書くことを教えてくれて、知らなかった面白い世界を見せてくれて、酸いも甘いも飛び込みながら生きたらきっと楽しいよという姿を体現してくれて、本当にひらりささんの書かれるnoteが大好きでたまらない。これからもTwitter見ます!本や記事も読みます!そしてひらりささんが天下を取るときには、私も同じ7月25日生まれの端くれとして「即位」できるように頑張ります。