私が生きてこなかった人生

ためらわず踏み出してゆくわ

花束ってなあに?

『花束みたいな恋をした』を観た。

大学生の麦と絹が出会い、社会人になって別れるまでの5年を描いた物語だ。Twitterでやたらと感想を見かけるので、だんだんと気になって映画館まで出向いた。けれど正直ピンと来なかったというのが私の感想である。

 

まず一番違和感があったのは、彼らは好きなものの名前はポンポンと並べるのに、それを好きな理由やどういうきっかけで好きになったのかのようなエピソードを全く相手に聞かないし、自分からも話さないところ。ミイラ展やら小説やらブログやらガスタンクやら様々なものに興味を持って手を出す人間が、同じものを好きな人を見つけたときに「良いですよね〜」だけで済ますとはとても思えない。オタクだからこそ議論したり対話したり、そういう終わりのない会話が好きなものでしょうよ。だって、何かを語るときに最も面白くて旨みがあるのは間違いなくその部分だから。"自分と同じものを好きな人が好きな人"も"自分と違うものを好きな人が好きな人"も、固有名詞だけじゃ「この人面白い!」っていう判断には至らないと思う。

 

なぜ楽しみにしていた天竺鼠のライブのことが、当日たかが一時期気になっていた人にバッタリ会ったぐらいで頭からすっぽり消えてしまうのかもよく分からなかった。しかもそのことを失敗談としてではなく、テキトーなエピソードとして初対面の人に提示するのももっと分からない。私なら「この人わざわざチケットを取るようなことも流しちゃう人なの!?」と思うけれど。そこで意気投合しちゃったら、目の前の人はいつか好きなもの=あなたのこともテキトーに流しますよ!いいの?とも思った。まあ、一方ならともかくお互いにその状況ならいいのかなあ。

 

同じ坂元さんの作品でも『カルテット』や『スイッチ』のように、自分の目線で自由に喋る人々がけたたましく会話する物語の方が好きだ。私が知りたいのはその人の思想や価値観だし、彼らがそれを共有していく過程はたまらなく愛おしい。