私が生きてこなかった人生

ためらわず踏み出してゆくわ

私のララランド観

映画『ララランド』はハッピーエンドか、バッドエンドか。私が「ハッピーエンドでしょ!」と言えば「えーそんなことないよ」と即答され、未だに盛り上がれるくらい分断が大きく、白熱する話題だ。そこでなぜ『ララランド』がハッピーエンドだと思うのか、私の考えを話したいと思う。

 

まず、人との関係性において、私が目指しているのは一貫して「最強の味方」だ。これになれるなら友情だろうと、恋愛だろうとなんだっていい。『ララランド』のセブとミアは結婚していないものの、互いの夢や成功を掴むまでの過程を理解して、その後もエールを送りあえる「最強の味方」という関係を作り上げた。そこが私の感じる「尊さ」でありハッピーエンドなんだと思う。

 

そして、映画の中でIfが展開されるように、一般的なハッピーエンドを迎える場合には、セブとミアは恋愛結婚、出産し、ロマンティックラブイデオロギーに基づいた人生を送ることになる。

しかし、このロマンティックラブイデオロギーにおいては、恋愛、結婚、出産の3つの支えのうちのどれかが破壊されることになった場合、相手の味方でいられることはおおよそない。なぜならそこには恨みだったり、嫌悪だったり、裏切られたことによる反動が発生する確率が高いから。そもそもロマンティックラブイデオロギーの規範なんてなければそんなものは起こらないのに。

これ信じ込んでしまったが故に、後々恨みつらみを抱えて更生することのできなくなった夫婦のもとに出自のある私は、正直なところ世の中に蔓延るこの概念を信用しきれない。

 

だから余計に、セブとミアの関係にただならぬ安寧を感じるんだと思う。ロマンティックラブイデオロギーからはみ出たところで、「最強の味方」になれる。これこそが一番理想的な人間対人間なんじゃないの?

 

……と思いつつ、『高慢と偏見』だって好きだし、『ガイズ&ドールズ』だって大好きなんだよ〜〜。いや人生100年時代において3つの両立は難しいでしょ!と概念を破壊したい衝動がある反面、ロマンティック神話を浴びて育ち、素直に王子様とお姫様を信じたいリトルふみちゃんも私の中にはいるのです。

 

けれども「生活の安定」を表す概念が「結婚」の一択になってしまうのは既に古いよね。"同性婚が認められる"と同時に、"結婚以外のあらゆるパートナーとの生活形態、もしくは一人で暮らす"というのも同じレベルで認められるのが理想的であり、今なるはやで実現すべきことなのではないかなぁと思います。

 

さらには"政府もしくは同等機関に関係性を認められなければいけない"こと自体が問題だという議論もあるし、これも検討しなくてはならない。考えれば考えるほど根深く、際限のない話ですね。

 

最後に、『ララランド』がバッドエンドだと思う方もぜひご意見を教えてください。そして札幌地裁の違憲判決、ほんとうに良かった……